とりあえず、日記。

おそるおそる。

2015年8月23日 だから、好き者ってヤツは

今日は前から母と約束していたので、奥多摩のむかし道を歩きに行った。でもこれが失敗だった。

何が失敗って、だいたい、こういう道を「歩く」のが趣味の人間の「ちょっと歩きに行こう」はだいたい「ちょっと」で済まないところがあるんだということを、以前学習していたはずなのに私が忘れていたことだ。

 

朝から天気が怪しく、これは雨が降るんじゃないの?と思えるような空模様。国分寺の駅で母と姪っ子に落ち合って、奥多摩行きの電車に乗るころには駅周辺では結構な雨が降った。でも母が言うには「たぶん大丈夫だと思うよ」。えー、そうかなぁ。半信半疑で付いていく。

娘と姪っ子と、女四人で奥多摩駅へ。そこからバスで小河内ダムまで登り、そこから下っていくカタチで歩き始めた。

しかし、最初の部分がかなりの急坂(舗装路だったけど)なんか聞いてた話とちょっと違うんじゃないかと思ったのはその部分。

すぐに青目立不動尊に行き着き、そこを参拝。

雨のせいかとにかく人がいない。

そこから、母が、こっちを下っていくという。が・・・

なんだこの道は。

登山道か。

舗装はなく、細い山道が、どんどん下へと下がっていく。

あ、失敗した、とこの時思った。

母の言う「ちょっと歩きに行こう」の正体は、ちょっとどころか本格的な山歩きの道のことだったのだ。

あー、思い至ればよかった。母は山歩きの会に入っていて、異様なまでの健脚だ。これくらいの道は、「ちょいちょい」と思っているのだ。

案の定、文句屋の姪っ子のぐずぐずが始まった。というか、姪っ子でなくても音を上げるよ、この道は。そうでなくても雨が降ったあとで、道が濡れているし、滑るし、暗いし、「寒いし」。そう、なぜか8月だというのに異様なまでに寒い。おかしい。こないだまで、異様なまでに暑かったのに!

この、状態のよくない道はかなりの距離続き、膝のよろしくない私もちょっと悲鳴を上げたくなってきた。娘が一番辛抱強く文句を言わずに降りてきて、やっと舗装路に出たときには本当にほっとした。

しかしここからがまだ長いことを、途中で道ばたに立っていた地図を見て知り、そこからが問題に。

雨模様が続いていたし、予想外に疲れる難所の坂道を下ってきて、申し訳ないが母以外のメンバーはお疲れ気味。このまま奥多摩駅まで行くと母は言うが、もう11時も近くなってきていて、糧食を持たない私と娘はお腹も空いてきた(だってこんなことになると思わなかったんだもの)。

結局、途中の白鬚トンネル付近で青梅街道と交わったこともあり、奥多摩駅で迎えに待機してくれていた夫と姪っ子の父(私の弟)を呼び寄せて拾ってもらうことに。

あとで調べてみれば、良い天気であれば景色も良いし、それほど辛い道のりでもなかったようだが、やっぱり足もとはトレッキング用の靴の方がよかったようだし、雨の日に小学3年生を連れて行くのはやっぱり無謀だったような感じた。

 

以前、夫の友人(女)で、トレッキング好きの人が「ちょっと登るだけだから」「そんなに遠くないから」と行ってみんなを山によく連れ出していた。私は2回つきあったけれど、それ以降は一切つきあわなかった。彼女の言う「ちょっと」はちっとも「ちょっと」じゃなかった。ガレ場の続く「千畳敷カール」を薄い夏用のスニーカーで登らされたときの、恨みに近い気持ちは未だに私の胸の中でくすぶっている。ああした、趣味が高じている人たちの「ちょっと」は絶対「ちょっと」じゃない。そう心に刻み、それ以降、こうした無謀の誘いには乗らないようにしていたのに。

誰でもそうだけど、自分が好きなこと、それに伴う労苦は、好き故にたいした重荷にならない。だからそれを人に語るときに、その飲み込んだ労苦のことは唇の端には上せないものなんだ。そう思うから、自分は、人にはそれを押しつけないように気をつけたいと思う。いや、それでもその労苦の上にある果実を採らせたいなら、最後まで経験者としての伴走を心がけねばならないと思う。たぶん、今の仕事で、私が気をつけていることは、それもあるのだと思う。

しかし、その後、バイトだった娘はよく頑張ったと思う。

後日、歩けなかった区間を歩こう、とは言ったけど、実行するかどうかはまた別のお話。。。

 

(9月24日 0:03)